卒業したよ。4年間の振り返りとOISTでの目標。

この度、4年間通った大学を卒業いたしました。

振り返ります。

 

 

入学する前:受験

思えば入学前こそが、大学4年間の過ごし方のターニングポイントだった気がします。受験に失敗したことです。僕はもともと某旧帝大を志望していたんです。しかしセンター試験で大コケして、今まで名前も聞いたことのない地方大に進学することになっちゃいました。このミスった原因は決して僕がセンターでマークミスをしたとか、交通事故にあったとかの運が悪かったせいではなくて、単純に勉強を始めるのが遅かったからだと解釈しています(そもそも僕は結構運も実力の内と思ってる派ですし。今朝母親にも、「努力で運を呼びよせる子なんだから頑張りなさい」と言われた)。少し昔話をすると、僕は高校受験のとき、わりと勝ち組で成功しちゃいました。通っていた塾では途中から入ったのに1番になれたし、受験も自分の行きたい高校に全勝し、「オレ天才じゃね?」って天狗になってた訳です。それもあって高1,2の間はあんまり勉強せずに遊んでました。そして高校3年生になって、高1,2の間にサボってたツケを取り返しながら勉強してて、ついには間に合わずに撃沈という訳です。このときの悔しいという気持ちを忘れずに、そして、同じことを繰り返さないために、大学に入ったら圧倒的努力で見返してやる!という誓いを立てました。

 

 

1年生

そこでわりと近くにあった某旧帝大のサークルに入ることになります。受験で失敗して、勉強嫌になると思いきや、おれには勉強の才能がないと卑屈になると思いきや、全然そんなことはなく、「何が東大京大だ。おれもあいつらに負けず劣らず賢いに違いない。たまたま受験というゲームに向いてなかっただけだ。」という気持ちで過ごしてました。そして、某旧帝大の英語でディベートやらスピーチやらをするサークルに外部の大学生として乗り込んだ訳です。そのサークルの旧帝大の生徒に間違われても恥ずかしくないくらい、むしろそいつらを圧倒するくらいになってやる、と意気込んでスタートしたのでした。

また、進路を考え始めました。高校生のときから、何となく研究って好きかも、と思っていたので研究者になるべく努力することに決めました。どうせならどんな人でもアッと驚くすごい進路がいいなと密かに承認欲求をこじらせつつ企んでいたので、ハーバード大学MIT等のPh.D.コースを目指して、アメリカ大学院留学の計画を立てました。

目標が決まればやることは明瞭で、(簡単とは言ってない)

  1. TOEFLアメリカ大学院の足切りである100を超えること
  2. GPA(大学の成績)はかぎりなく満点を目指すこと、少なくとも首席になること
  3. 研究室配属前から、推薦書を書いてもらえるようなビッグネームのラボで、ある程度の研究経験をすること

上記の3点を念頭に置いて大学生活を過ごしていました。

しかし大学1年生の間は、大して良い成績も取れず、サークルで英語が身につくこともなく、ただただ沢山の友達や優秀な先輩と出会えただけでした。結構遊んでしまいました。今思えばネットワーキングという意味でこういう時間を過ごせる機会は少ないですし良かったと思ってます。(特に文系の子と仲良くなれて、多様な価値観に触れ、みんな尊敬できたのが嬉しかった!それまで理系至上主義で、文系の人たちを等しく見下していたので笑)

要するに、志は高いけれど、そこそこ勉強頑張ってるだけの、いわゆる「意識高い系」大学生の完成!という訳でした。

 

2年生

大学に行っても変わらん毎日で、自分が苦手だと思ってた物理とか数学とかはそれなりに身についたことにして勉強を終了し、サークルは既に飲み会要員になりつつあり、このままではいかん!と考えるようになりました。思い切って興味のある研究室のボスに連絡を取りました。半年ほど、見習いの研究生として受け入れてくれることになりました。研究と授業の両立が始まりました。2年後期からは「やっぱし研究おもろいんじゃね?」ってなってきて、授業よりも研究を優先するようになりました。しかし年度末にサイエンス・インカレという学部生の研究コンテストに応募するも書類で落ちました。やはり現実は厳しいです。

 

3年生

とりあえずラボ畜になりつつ、気ままに遊んだりしてました(あんまり記憶がない。。)授業の勉強は少し疎かになってのですが、配属前なのに研究室に入り浸っている利点を活かし、優秀な先輩からの過去問を頂いたり、わからないところを聞きまくりました。成績は満点からは程遠いですが、首席くらいにはなりました。そろそろ英語の勉強しないと~って思ってたんですが、TOEICすらあんまり思ってた点が取れず、またまた現実の厳しさに直面しました。進路を色々と考えて、アメリカ大学院から、日本の大学院に変更しました。(誰にも言ってないけれど、このときは本当に泣いた。今まで目指していた目標が消えたので。)年度末に筆頭論文が1本でました。去年落とされたサイエンス・インカレにも採択されました。

 

4年生

研究は楽しいけれど、このままずっとこの研究室にいてもだれてきそうだな~。環境変えてみたいな~っていう意識が芽生えはじめました。隣の芝生が青く見えるってやつです。留学しました。4ヶ月のアメリカへの留学はめっちゃ楽しかったんですが、「まあ研究やるには日本でもええな、ていうか自分って日本好きやな」っていう感想です。アメリカを神格化しすぎてました。(今思えば大学院留学できなかったこともそこまで悔いてないです。アメリカならどこでも良いわけじゃない。「自分の綿密な準備」と「巡り合わせ(ボスやラボとの相性。これに対する準備というか、リサーチこそめっちゃ大事)」が成功の鍵かなと思ってます)次留学するとしたら、本当にやりたい研究テーマが自分の中にあって、それを出来るラボが日本にないときくらいですかね。あと、日本に帰ってきてから学会で賞をとれました。サイエンス・インカレにはまた落ちました。年度変わってからですが、筆頭(Co-First)論文が最近1本でました。

 

最後にひとつディスカッション

振り返っていると今後の成功の鍵は、「悔しいという気持ちをいかに保ち続けるか」にかかっている気がしてきました。研究者としてのモチベーションは、「患者を救いたい」とか「この仮説を立証したい」とか、そういうもっともらしいものにドライブされた方が一番わかりやすくてカッコいいと思ってるんですけど、僕の場合は「以前こういうことで後悔したからイヤだった」とか「あいつに負けて悔しかった」とか「ボスや先輩から嫌われたらイヤだな」とか、そういうネガティブな気持ちの方が強いんです笑。そこで学部4年間の内、特に悔しかったことを備忘録的にまとめておこうと思います。貪欲に向上心を持っていきたいので、自分を批判的に見る思考を張り巡らせて分析してみます。

 

悔しかったこと第一位

サイエンス・インカレ選考落ち(2回)

→書類の書き方も研究の進め方もがまだまだ下手。論文が出てるのはボスのおかげ。

 

悔しかったこと第二位

アメリカの留学先で論文にまとめられるほどの結果を出せなかった。

→最初の一ヶ月で実験教えてもらう指示待ち人間だったことと、あと行く前に打ち合わせしなかったことが痛かった。

 

悔しかったこと第三位

データ処理について適当で、後から考えると不適切なデータの示し方をしてしまった。(端的に言うと、僕の中では捏造してしまったことと同義なくらい反省している)

→具体的には、論文化を急ぐあまり、自分の研究が本当に誰がやっても同じ結果が得られるような再現性の高いものであることを証明せずに終わった(再現性が高いと信じてはいるけれど)

 

悔しかったこと第四位

自分が学部でやった研究が本当に神経変性疾患の患者さんにリーチするかと言われると、そういう未来がどう考えても1ミリも想像できないこと

→これはアカデミックな業界にいる限り、本当に悩み続けるであろう課題。。お医者さんだけじゃなくて企業の人ともコラボしていく姿勢が大切なのかな。

 

悔しかったこと第五位

幅広い分野の勉強に手を出したが、ほとんど忘れて身につかなかった。

→やっぱり大事なのは日頃からその内容を活用して身につけることだと思ってます。

 

悔しかったこと第六位

人脈を増やすことにこだわるあまり、一人ひとりと密に関われなかった気がする。

 

悔しかったこと第七位

TOEFL100点目指してたけど56点しか取れなかった。

 

 

上記踏まえて、新天地での目標を考えました。

  • (サイエンスを全力でやることは前提として)論文の数を書くことや、実績に固執するよりも、自分の人生のQOL(家族・友人・恋人との時間や健康や沖縄でしかできないこと)を優先する。←新年の目標にも書いたけど、要はメリハリをつけて、処理速度を3倍くらいに速くしたいってことです。
  • 年齢や職業に限らず、一緒に何かをして楽しいと思える人とコネクションを作れるようにがんばる。
  • 長い付き合いになるような、色んな国籍の友達を作る。
  • 理系の友達に自慢できるような、発明・発見をして論文を書く。
  • TOEFL100点以上(もしくはそれに準ずる英語力の証明を)取る。

 

 

曲がりなりにもドクターの学生になってしまったので、毎日論文読むやつまたぼちぼち再開しようかなと思ってます。今回はこの辺で。